「人がキライ」なんじゃない?

私、よく「人がキライです」と言っていましたが・・・、つい最近「人がキライなんじゃない!」と気付いたんです!!

自分のことを「コミュ障」とも思っていたのですが、「コミュ障」なんじゃなくて、合わない人に無理に合わせて喋りたいと思わない「自分の気持ちに素直な子」なんです^^

ちょっと前にも「料理がキライ」と思っていたのも、「料理がキライ」なんじゃなくて、「自分の食べたくないものまで作るのがキライ」なのであって、自分が食べたいものを作るのは大好きだって気付いたんです^^

だから、「人」も全人類がキライとか苦手なんじゃなくて・・・「合わない人がムリ」ということと、私が変なヤツなので圧倒的に「合う人」が少ないんです(^-^;

だから、数少ない合う人とは、楽しく過ごせますし大好きです♡

で、何が言いたいかというと・・・「自分で自分を理解しようじゃないの♪」ってことなんです。

 

 

自分で自分を理解する

私の場合は、自分のことを「料理がキライ」とか「人がキライ」とか、かなり大雑把に(何なら、やや間違って)理解していました。

それじゃ、人生 上手く行かないよな~(笑)って思ったんです。

私、人を観察するのは大好きなのに、自分を観察してねーじゃん!って気付いた時は衝撃でしたね(^-^;

本来、一番観察しないといけない対象って「自分」だと思うんです。

で、私が自分を観察するトリガーにしたのは「違和感」や「矛盾」です。

 

料理で言うなら、「料理がキライ」と言いながら、外食は ほぼしないし、出来合いものを買うことも ほぼありません。毎日、朝ごはんも、お弁当も、夕食も、何ならオヤツも作ってるんですよね。。

で「あれ?料理キライなのに、なんで毎日できんの?私?ん?」と思って、よくよく考えてみたら、

「自分が食べたいものを作るのは好き」「自分が食べたくないものや、好きじゃない人のために作るのはキライ」だと気付いたんです。

人も「私、人がキライなはずなのに、繁華街でこの人とご機嫌でランチしてるよ・・・。なんで?」というのが湧いてきて、自分観察を始めたら「あぁ~。そういう事か♪」と気付いたんです。

仕事もそうで。「仕事がキライ」なんじゃなくて、「仕事の何がキライ」かをわかれば、現実は変わると思うんです。本当に「仕事の全てがキライ」なら、さっさと辞めてしまわないと、自分で「仕事に行けない状況」を作り出してしまいます。。

学校も同じですね。「学校がキライ」って、「学校の何がキライ」かを自分でわかるって、ものすごく大切な事なんです。

私の息子は保育園のときに登園拒否になって、息子が「ここなら行きたい!」って思う幼稚園に変わったんですけど、それだって、息子の「保育園の何がキライ」かがわからなければ、次を正しく選ぶことはできなかったと思うんです。

恋愛や人間関係でも、違和感や自分の中の矛盾に目を向けて「おや?」と思うことから変化が始まると思います。

自分が自分の一番の理解者であるために

・他人からの評価より

・周りからどう見られているかより

自分が自分を一番理解して、少数派であろうと何であろうと、自分は自分で、自分に素直に生きるのが当たり前なんじゃなの?と気付くことで世が変わり始めました。

そりゃ、まだまだ「気付きたてホヤホヤ」なので、ときどきブレーキも踏んでしまいます(笑)

それでも、「少数派だろうと何だろうと、私は私でいい♪」と、胸を張って言えるようになれば、また一つ新しい扉が開かれるのではないかな?と思います。←実際に、私は新しい道が開けました^^

で、圧倒的に合う人が少ない私が大切にしている事を、この後の記事で書いてみようかと思います。

これ、結構重要で・・・特に結婚したときに一番感じたんですけど・・・、ほんと、人間関係の根本だと思うんです。。