「見守られる安心」に感じる違和感

実母とは縁を切ったので、関わりたくないのですが、弟からSOSがありました。

内容は、クソみたいなもので・・・。

父が、お金を使いすぎるから、銀行のカードを取り上げたそう。。そして、父を施設に入れたいそう。。

え?なんで??ですよね。。

結局、父を施設に入れたい理由は、毒母の相変わらずの自己中発言からくるものとわかったので、私はノータッチを貫いていて、弟も諦めてくれたのですが(^-^;

施設に入れる話の中で、弟の口から「見守られる安心」という言葉が出てきたのに驚きました。

父は「見守られたい」なんて1mmも思っていないどころか「監視されたくない」とすら言っています。

それに対して「見守られる安心」を前面に押し出して話をすすめても、父が「うん」という訳ないじゃない?と思うのに、ほんとコイツラ(うちの家族)どうなってんの?と驚きました。

一応、父には「自分で頑張って。自分を守れるのは自分だけ。お父さんが『うん』と言わなければ、今のままで行けるから。」とだけ電話をしたのですが。。

 

「見守られる安心」自体は、悪くないとは思うんです。むしろ大切だと感じています。

ただ、その「見守られる」というのは、信頼とか愛情に基づくものであって、何て言えばいいか・・・「気にかけてもらってる」とか「心が繋がってる」みたいな。

決して「監視カメラやGPS等で見張られている」ことではないと、父も私も認識しています。

ですが、「監視カメラ等で見張る」ことを「見守る」「繋がる」と思っている母と弟とは、全く話が噛み合いません。。

というか、弟は昔から母親の言いなりです。

今回の一件で、私の息子(高校生)が、弟(自分の叔父)を見て

「母の弟、バアチャンの犬やん?なんも自分で考えてなくない?大丈夫か?」と言われる始末。。

そして、更に弟にビックリしたのが、

「お父さんは [私の息子]君を一番可愛がってるから、息子君からお父さんを説得してくれんかな?」と。。

そこで息子☆参戦☆

「あのさ、俺、高校生やん。そんな大事な事を高校生にさせる大人って、どうなん?大人の自分が出来へんから高校生にやらせるって、クソやん?それに俺は、ジイチャンを施設に入れたいとは思ってないから無理。週に2回くらいはジイチャンと飯食いに行ってるけど、施設に入れる必要性を全く感じない。[母の弟]君は、ジイチャンの何を見て施設に入れたいと思ってるん?」と。

弟は、反論できず・・・。

だって実家に帰ってくるの、正月だけですもん~(笑)

高校生に言い負かされる50代のポンコツ・・・(涙)

わが弟のポンコツっぷりにビックリするやら、息子の成長に驚くやら・・・、とても複雑でした。。

 


 

「見守られる安心感」という言葉を使って、あたかも「あなたのためですよ」的な雰囲気を出して、望んでいない人を監視するってどうなん?と。

そんなに「見守られる安心」を与えたいなら、2日に1回でも、ちょっと電話すれば済むことじゃない?と思ったので、今日は、こんな記事を書いてみました。

子供のGPSもそうで。。(←まだ言うか!?)

私が小さい頃は、携帯電話すらなかった時代ですから、寄り道・道草し放題でした♪

この、寄り道とか道草って、ものすごく楽しいですし、いろんな発見がありますし、それで危険な目にあったことなんてありませんし。

でも、今って監視されていて、寄り道も道草もできない子も多いんですってね。。

なんか・・・、世知辛い世の中になったな・・・と感じてしまいます。

自由に好き放題にしていても安全だったじゃないですか。

そういう時代に逆行していけたらいいのに・・・と、思います。