生い立ちのトラウマに負けるな!

生い立ちのトラウマに負けるな!

 

子育てをしていく上で、どんなことでも「失敗上等!の精神で 挑戦して欲しい♪」と思っています。

そして、挑戦したうえで続けたいと思うことがあれば「やり切って欲しい」と思っています。

何より、子供の人生を縛る親にだけは絶対にならない!と自分に誓っています。

 

それは、自分が過去に やり切りたくても出来ない経験をしたからです。

親に人生をコントロールされる苦しい時期を過ごしました。だからこそ「やり切る」ことの大切さとやり切る環境を子供に提供できる親でありたいと思っています。

 

 

やり切れなかった過去

私のの弟は身体が弱く、少しでも丈夫になればと水泳を習うことになり、その「ついで」に 私もスイミングスクールに入れられました。 小学4年生のときです。

そこで芽が出て、スイミングスクールの「選手育成クラス」に入り、小学校6年生のときには全国レベルになりました。←はい、自慢です♪

ですが母は「弟にお金がかかるから、試合なんか出なくて良い」と言いました。 それでもコーチと相談をして、当時は、「全国大会出場標準A記録」というのを公式戦で切れば、大会を勝ち上がって行かなくても全国大会に出られたんです。

大会は1試合ごとに参加費が必要で、県大会以上になると遠征費も必要でした。 ですので、少しでも負担が軽くなるようにと考えた末、一発勝負で小さな公式戦での記録にかけました。実際に公式戦で「全国大会出場標準A記録」を切ることができた時の達成感と喜びは今も覚えています(*^^*)

その報告を母にすると「そんなん出なくていい。全国大会に出たって、どうせ予選落ちで帰ってくるくせに。」と・・・全国大会の出場資格があるにも関わらず出場させてもらえませんでした。

コーチが何度も何度も母に掛け合ってくれたのですが、結局、全国大会出場は叶いませんでした。(コーチ談)

また、当時は私立の中学から「うちに進学してください」という申し出が数校あったとコーチから聞きました。 学費免除というメリットがあったにも関わらず、それも全て母が断ったそうです(コーチ談)。

そして、進学は水泳部のない公立中学校へ。。「それでも水泳を続ける!」という強い意思が私に無かったからと言えば、それも否定はできませんが「この母のもとで水泳を続ける気力は残っていなかった」というのが、当時の私でした。

この頃から「あきらめ癖」というか「どうせ無理」とか「どうせ出来ない」と考えてしまうようになったのかもしれません。。

よく「親になれば、親の気持ちがわかる」と言いますが、私の場合は、実際に自分が母親になって、ますます実母の気持ちが理解できません。。というか、私は母の言葉で言うなら「女の子は老後の面倒を見させるために産んだだけ。遠くにいってもらっては困るし、好きなことそする必要もない。」んだそうです。。

まじビックリ☆

 

 

今、子育てで大切にしていること

そんなこんなで、水泳を続けなかったので、今も時々思うことがあります。

「あの時、全国大会に出ていたら、どうなってただろう。」

「あの時、水泳部のある中学に進学をしていたらどうなってただろう。」

「私の水泳を応援してくれる家族がいたら、どうなってただろう。」

 

結局のところ、自分の壁にぶち当たって水泳をやめていたかもしれません。それでも、伸び盛りの壁にぶち当たる前に水泳を止めたことは、ずっと心の中に残っています。

だからこそ、息子が「海外に行きたい」「サッカーをしたい」とお金のかかることを望んでも、出来る限りのことをして応援したいと頑張っています。

 

ただ、どんな理由があったにしろ、水泳を止めたのは私の意思で、私の決断です。ですから、責任は私にあります。はい。他人を恨んでも何も始まりませんから♪

でも、家族の応援がある状況と、母親に全否定をされた状況とで、小学生の判断に影響がないか?というと、影響は小さくは無いと思います。

それに、そもそも水泳を続けるためには月謝が必要でしたので、その月謝を「出さない」と言われてしまえば、もう小学生にはどうしていいかわかりませんでした。

そういう思いを子供には絶対にさせたくない、子供の人生を縛る親になりたくないというのが、今の私の子育ての根本にあります。

ですから、息子が「サッカー選手になりたい!」と言えば、応援します。でも「やっぱりサッカーは楽しみながらやりたい。『ガチ勢』じゃなくて『エンジョイ勢』がいい♪」と言えば、「あら、そうなのね♪」と、それでOKです。

 

 

子育ては「自己満足」でOK

いま自分がしている事が「良い子育てか?」と聞かれると、それはハテナ?です。

ですが「私は、出来る限りのサポートをやり切った!と、自己満足に浸れるか?」と聞かれると、それは胸を張ってYESです。

息子からしたら「自己満足の押しつけ」かもしれませんし、うざいオカンかもしれませんよ?

それでも「私は 私が息子のために出来ることは全てやった!」と、100%自己満足をするためにやっています。

食事だって、もう中学生なんだし、放っておいたって自分で何か食べるでしょう。むしろ、たまには母親不在でお金だけ置いてある方が喜ぶ時だってありますよ(^-^;

でも、私が「成長期にちゃんとした食事を食べさせた」という自己満足を得るために、基本的には毎日作っています。

息子が「たまにはジャンクなもんが食いたい!」という時は、「事前申告制」にしており、息子にはお金だけを渡し、私はのんびり自由にしています。

 

 

後悔した過去も、大切な経験です

うだうだと小学生の時の愚痴やら何やらを書きましたが、私自身も、この水泳の後悔があったからこそ、後に「海外に行きたい」というのを母親に反対された時、「もう二度とこの人(母)に私の人生を邪魔させない」という思いで、自分でお金を貯めて海外に4年間住む事が出来たと思っています。

ただ、そこに行きつくまでには「どうせ、また邪魔される」とか「きっとやらせてもらえない」とか、そんな気持ちに負けそうになる事も何度もありましたし、実際にたくさん母親に邪魔をされました。

大使館から送って来る書類をゴミ箱に捨てられましたから(^-^;

でも、そこでその気持ち(と母親)に負けて諦めるか、「いや、私は二度と後悔したくない!」と思って突き進むかは、私たち自身で選べるんです。

この仕事をしていると、生い立ちのトラウマて諦める癖がついてしまっている人がとても多いと感じます。私も、その一人でしたから、気持ちは本当によくわかります。

ただ、人生は一度きりですし、やりたいことを出来ない人生なんて…生きてる価値なくないですか?

 

もし、この記事を読んてくださっているあなたが「生い立ちのせいにして逃げている」「生い立ちのトラウマに負けている」なら、次に何かを本気でしたいと思ったときには周りの意見は参考程度に、とにかく自分の直感と意思を信じて突き進んでみませんか。

当然、失敗することも多々あります。周りから「だから言ったでしょ。」なんて言われる事もあります。それでも、自分の意思で「やり切った」ことは、それが大失敗でも後悔はないんです(*^^*)←経験者は語る♪

むしろ、清々しいというか「やって良かった!」「やったからわかった♪」というか、何とも言えない良い気分です。

 


 

もし、過去に誰かに邪魔されてやり切ることが出来ない経験があったら、それは結局は「自分の決断」だと思ってください。

そして、次の「何か」があったときは、その経験を思い出して、やり切ってください。きっとどんな結果になっても清々しく満足しますよ(*^^*)

生い立ちのせいにして逃げている時間、生い立ちのトラウマに縛られている時間、勿体無いですよ~♪