【宗教】信心深い身内を見て「なぜそんなにガマンばかり?」と不思議で仕方がない
私は無宗教ですが、私の親戚は とても信心深いです。
沢山お布施をし
仏具や玉垣を寄付し
「良い」とされる戒名を貰うために大金を支払い
極楽に行けるよう、教えを守り(アレコレ我慢し)
そうかと思えば、我慢はするのに努力はせず「〇〇にしてください!」とお願いばかりする。。
そういう親戚を見て、ずっと違和感?疑問?感じて育ちました。
だって、死んだあとのことばかり心配して、生きている今を楽しんでいない ように見えたんですもん。
死ぬの(死後の世界?)が怖くて我慢はするのに
今を楽しむための努力も工夫もしない。
そんな人たちを近くで見て育って、
私は、死後を恐れて不自由な生活をするより
生きている今を精一杯楽しみたい
と思うようになりました。
最近、何かで見たのですが、、
「死ぬときが一番お金持ち」なんですってね。。
うーん。。
私は人生を楽しんでスッカラカンになってから死にたい^^
子供には、物やお金を残すんじゃなくて
「お金やモノを残さなくても、自分で自分の人生を切り開ける子」と信じて
私自身の人生を楽しむことを最優先したいと思います。
そんな私を見て、子供がどう感じるかは、子供の自由で。。
私は、親族が信心深い姿を見せてくれたおかげで、
「生きている今を楽しむ方が価値がある!」と強く思うことができたので
親戚には感謝しています。
ですが、親族の中には、私とは真逆で、
信心深く、
我慢してガマンして、
お寺に寄付し倒して、
旅行も何もせず死んだ人もいます。
私の感覚では、
「旅行も何もせず、自分のためにお金を使わず、不自由な人生」
と感じましたが
この本人が
「旅行など自分にお金を使うよりも、
お寺に寄付をすることに心からの幸せを感じる」
と思ったのなら
それは、その人の正解なので、
私が口出しをすることではありません。
そして、その人が人生最後の瞬間に
「これでよかった。たくさん寄付をして教義に従って生きて良かった」と思ったのか
「自分のしたいことをすればよかった」と後悔したのかは
私にはわかりません。。
ですが、私は、その方を見ていて、やはり
「私は、こうはならない!」と強く心に誓いました。
こんな風にずっと感じて大人になったので
私にとっての宗教とは、
「死後の世界を恐れさせて
あれダメ、これダメ、
アレしろ、コレしろ、と
人々を不自由に縛るもの」
という認識です。
今回は宗教について書きましたが、
宗教であろうと何であろうと
生きている今を楽しめなくするものって…
(今の国や政府とかも・・・)
「おかしくない?」と思います。
だから私は無宗教で、自由に楽しく生きています^^
私は、自分のしたいことをするために生まれてきたんです。
私は、自分の人生を楽しむために生まれてきたんです。
身体をもって生きている「いま」を楽しむために生まれてきたんです。
それは、今このブログを読んでくださっている方々も同じで。。
だから、もし、宗教に私と同じような疑問をお持ちで「息苦しい」と感じている方がいらっしゃったら
少しでも、私のようにラクになっていただけると嬉しいな…と思って
今日は、こんな記事を書きました^^
あ、ちなみにですが、無宗教ですが
クリスマスは、楽しくてワクワクする雰囲気なので、乗っかります♪
キリストがどうのこうのは置いておいて
イルミネーションを見たらキレイだから嬉しくなりますし
街中がクリスマスムードでキラキラわくわくした雰囲気になるのも好きです^^
ですが、クリスマスの夕飯だからといってオシャレなものはせず
普通に粕汁とか…自分が食べたいものを食べます^^
ようは、宗教だろうと何だろうと、
自分が楽しくなることは好き
自分が不自由になることはキライ です♪

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