「余命宣告」私はこう考えます

先日、余命宣告の相談をされました。

そこで、とても不思議だったのですが、どうして皆さん、そんなに素直に医師の言う事を信じてしまうんでしょう・・・と。

相談者様の了承を得て、本日は記事にさせていただきます^^

 

 

「余命宣告」とは、ただの過去のデータ

私は、「余命宣告」とは、あくまで「過去、こういうケースの方は、だいたいこんな感じでしたよ。」という、過去のデータでしかないと思います。

つまり、全てが過去のデータ通りに動くならば、野球に例えると、「いままでヒットを打てなかった」なら、一生打てないことになりますし、「いままで、このチームに勝ったことがない」なら、この先も一生勝てませんよね。

ですが、練習のやり方や、考え方、食生活などを変えれば、ヒットが打てるようになったり、自己新記録を更新できたり、勝てなかったチームに勝てたりするじゃないですか?

スポーツに例えると「いやいや、病気は違いますよ!」と言われますが、病気も同じだと私は思います。

その証拠に、「いや、もう本当に無理」と余命宣告をされても、奇跡と言われるほどの回復をして完治する方だっていらっしゃいますよね。

そういうことです。

 

医師に「過去のデータ」を見せられて、「あぁ、ダメなんだ。。」と思って、そっちに乗っかるか。

「ああ、そうですあ。どうせ人間いつかは死ぬんだから、だったら、この先も好きにするわ♪」と思って、違う方に乗っかるかによって、次に選ぶ現実も変わってきますよね。

 

実際に、私の父は、糖尿病・高血圧・脳梗塞など、いろいろやらかしていまして、医師からは「いまの生活をしていたら、50歳まで生きられませんよ。」と脅されました。

父の答えは、

「人間、遅かれ早かれ、いつかは全員死ぬんだから、だったら、自分が死ぬその日まで、好きなものを食べて、好きなものを飲んで、好きな事をして、好きに楽しく死なせてください☆」と、薬も飲まない、治療もしないとい道を選んだんです。

で、今年83歳ですが、足腰もしっかりしていて、そこら辺の83歳より、余程元気にしています^^

そういう事だと私は思います。

 

それに、病気で余命宣告をされなくても、明日、突然何かがあって「もうお空に帰ろ♪」ってなるかもしれませんし。

それに、「長生きが良いこと」なんてことはありません。

遊園地に行って、滞在時間が短くても、自分の目的を達成したら、「もう、目標を達成して、100%満足したから帰ろ~♪」と思って、早目に帰る人もいますよね。

一緒に行った友達に合わせてばかりで、自分のしたいことができずに、閉園時間になっても、「えぇー。自分のしたいことできてないよ。。まだ帰りたくない・・・。」って思いながら帰る人もいますよね。

長く滞在するのが必ずしも良いとは限りません。

自分が「楽しかった♪満足☆」と思える人生なら、長くても短くても、それが一番だと思います^^

だから、もし「過去のデータでこうですよ」と言われて、「うわぁ!自分のしたいこと、出来てないよ!」と焦ったら、「閉園時間」までに、家族や友達に合わせるだけではなく、自分が本当にしたいこと(遊園地にきた目的)を果たせば、満足して帰れると思います^^

というか・・・、本当に自分がしたいことをする!と腹を決めてしまうと、案外楽しくなって、「え?あ、そう言えば余命宣告されたことがあったっけ?」みたいな事になったりもするもんです^^

実際に、私の父以外にも、そういう人を複数名知っていますので、とにかく、落ち込まず、流されず、悲しまず、

・自分の遊園地での過ごし方は、自分が望んでいるものだったか?

・閉園時間まで、一緒にいる人に合わすとかじゃなく、自分は本当は何をしたいか?

を、しっかりと考えて、自分のしたいことをやるべきじゃないでしょうか。

 


 

医師でもない私の言う事なんて、「また、アタオカが何か言ってるわ~(笑)」くらいに思われるかもしれませんが、

それでも、私は、医師と交際した経験もありますし、製薬会社に勤務した経験もありますし、放送局に勤務した経験もありますし。

そういうのを総合的に判断して、「余命宣告」に無邪気に素直に乗っかって、そっちに向かうというのは、残念だな・・・と思っています。

もし、少しでもお役に立てるなら、うちの父を思い出してみてください^^

一緒に「遊園地から満足して帰れる」ように、自分のしたいことを楽しみましょう♪