自己肯定=裸の心で生きること

自己肯定=裸の心で生きること

 

「自己肯定感」という言葉を言うのは簡単ですが実際なんなんだ?って疑問に思ったのは私だけでしょうか。

私が今一番シックリとくる答えは

自己肯定感が高い=裸の心で生きている

こんなイメージです。

 

 

私は私だからOK

これは息子が二歳半の時に教えてくれたことなんです。

息子が小さい頃、もう可愛くて可愛くて、寝顔を見て泣けるくらい可愛くて(親バカすぎますね・・・)

「なんでケンは、そんなに可愛いの?」と聞くと、息子は満面の笑みで間髪入れず「ケンだから!」と答えました。

そうなんです。

ケンはケンだから、ご飯をこぼしても、上手に靴が履けなくても、オモチャを出しっぱなしにしていても、可愛いし〇マルなんです。

子供のいるお母さんは わかると思うのですが、赤ちゃんて お腹の中にいる時は

・ぷかぷか羊水に浮かんて
・ご飯を食べなくてもママが栄養をくれる
・酸素もママが運んでくれる

そこから酸素が届かない産道を通って この世に出た途端・・・

「ヤバッ!自分で息しないと死ぬ!」
「まじか!?羊水は快適だったのに訳のわからん布で巻かれる!何じゃこれ?」
「ヤバい!オッパイ必死で飲まないと生きていけない!けど、上手に飲めない!!」
「くっそー!喋りたいのに喋れない!」
「あぁ…動きたいのに動けない!」

そういうのを全部乗り越えて、いま生きてますよね?すごくないですか?

 

 

条件付きの「自己肯定」

今の世の中、条件付きの自己肯定が多すぎませんか?

・〇〇の資格を取れた私はスゴイ
・ダイエットに成功した私はスゴイ
・月収〇〇万稼げる私はスゴイ

ということは、〇〇の資格のない自分はダメ、ダイエットできない自分もダメ、月収〇〇万稼げない自分はダメ、そうなってしまっていませんか?

そんなことないんです。

生まれてきて、生きてるだけで、あなたも私もスゴイと思います。

 

 

裸の心で「自己肯定」

・訳の分からない鎧を脱いで
・見栄を張るのをやめて
・無理をするのもやめて
・ウソのSNS投稿もやめて
・「どうせ私なんか…」を捨ててみませんか?

実は今ここに書いたことは、全て過去の前の私なんです。

・虐められてた
・モテなかった
・お金もなかった
・器も小さかった
・友達も少ない

それをバレない様に必死で、鎧を着て、見栄を張って、嘘をついて生きてきました。でも、裸の心になってみると・・・

「虐められて、嫌われて、貧乏で、器が小さくて、こんな状況で毎日生きてる私、めっちゃスゴくない?」
「こんな状況で普通に毎日生活してる私、めっちゃ強くない?」
「もしかして、私ってスゴイ何かがあったりする?」なんて思えるようになったんです。

そうなってくると、今度は

「ちょっと待てよ。。この耐え忍ぶだけのエネルギーを他の使い方できないか?」
「周りの目を意識してビクビクしてる時間を、他の事に使えないか?」
「虐められるって不安がってるエネルギーを、他に使ったらどうなるだろう?」

こんな風な思考に変わってきました。

素のままの自分にOKをだして、自由な裸の心で生きられるようになってからは、沢山の気づきがありました。全ての出来事に対する受け止め方と その後の行動が変わりました。そうすると訪れる結果も変わるんです。

 


 

「あなた」は「あなた」だから、生きてるだけで素晴らしい!私も私だから、生きてるだけで素晴らしい!

今の状況が苦しくて大変であればあるほど、その中で生きている「あなた」は、普通よりも強いしスゴイ!

自分で自分を好きになって、自分で自分に毎日合格を出してみてください。それを繰り返した先に、成功や目標達成が待っています。

過去の私と同じ状況のあなたに届きますように。。