人の不幸は蜜の味

人の不幸は蜜の味

 

「人の不幸は蜜の味」と言いますが、人の不幸を喜ぶことを否定していませんか?

先日、「他人の不幸を喜んでる自分が嫌い」と言うご相談をいただきましたので、私なりの【黒い回答】をシェアさせていただきます(*^^*)

 

 

「人の不幸」にもいろいろ

「人の不幸」と言っても、いろいろあります。

例えば、

・自分よりキレイで
・自分よりお金持ちで
・自分より幸せそうで etc.

自分に何の危害も加えていない人を、ただ単に妬んで、その人の不幸を願って、不幸をみつけては喜ぶ。
↑↑↑↑↑
これは、ただのカスです。

「超える(近づく)努力しようよ!」と思います。

でも、

・過去にイジメられた
・過去に騙された
・過去に危害を加えられた etc.

こういう人の末路のニュースを耳にしたときは、「ほーら、ざまぁみろ( *´艸`)」とか「やっぱり神様は、ちゃんと見てるよね~( *´艸`)」と思うのは、人間として至極当然のことだと思います。

そして、この「不幸」は、格別の蜜の味がします(* ̄ー ̄)ニヤリ←悪い顔♪

この「ざまぁみろ!」「あースカッとした(*^0^*)」という気持ちを、無理にポジティブぶって無視すると、身体は拒否反応を起こして不調が表れることがあります。

だってね、全ての感情や出来事は、私たちに必要な事だからです。

 

 

必要のないものは無い

私たちの心と身体に起こることは、全て必要だから起こります。

例えば「痛み」。

この「痛み」があるおかげで「ここ、具合悪いですよ」ってわかりますよね。

「痛み」があるお陰で「無理しちゃいましたね」ってわかりますよね。

「痛み」が出るから「あ、使い方、間違った・・・」って気づきますよね。

こんな風に、全て必要だから起こります。

 

ネガティブと思われる感情も、私たちにとって 必要 だからあるんです。

今回の「蜜の味」だって、「ざまぁみろ!」と思ったり「やっぱり神様は、ちゃんと見てた!いい気味。」と思ったら、その感情を受け止めて、しっかり感じて味わってください。

そうすることで、心のどこかに残っていた「虐められた」とか「いやな事をされた」とかいうシコリみたいな感情が、溶けて無くなったり、小さくなったりすると私は感じています。

シコリのように残っている感情は、放っておくと気づかないうちに固くなったり、大きくなったり・・・してしまいます。そして、いつしか身体のシコリや不調となって表れることがあります。

だから、それを溶かしたり、小さくしたり、心をより健康にするために、必要な人には「蜜の味」がするニュースが 届くんだと思っています。

心と身体は本当に密接に繋がっているので、とにかく「起こること」「湧いて来る感情」は全て否定することなく 受け止めて 認めて 役立ててください。

 

 

「許す」ということ

「それでも、許せません!」と思うこともあるでしょう。私だってあります(^-^;

でも「許す」って

× その人と、また前のように仲良くする

× その人を受け入れる etc.

という事ではなくて、その事(その人)に縛られなくなって前に進めることだと思っています。

勿論、また前のように仲良くしたり、その人を受け入れる事の出来る器の大きい人は素晴らしいと思います。でも、私は器が小さいので、それは出来ない事が 多いです。

だから「蜜の味」のニュースによって、悪い顔をしてほくそ笑んで(←私は こうです)、一つの心のシコリが消えたり小さくなる。

そして、今まで縛られていた感情がほどけて、心が自由になっていく。「忘れる」という言い方の方がわかりやすいでしょうか。

ようは「許す」とは、「もう怒っていない」「もう何とも思っていない」状態になることではないかと感じています。

 


 

人の不幸は蜜の味。

悪いことだけではありません(*^^*)

心の健康に役立つなら、利用しちゃいましょう!