ムカつく!→「死ぬ気になれば何でも出来る!」

ゴールデンウィークの終わり頃、「ゴールデンウィーク明けは、不登校や自殺が増える」というニュースを耳にしました。

めっちゃわかる。。私も昔はそうでしたから。。

あるコメンテーターが「死ぬ気になれば、何でも出来る!だから生きてください!」とか言ってたんですけど。

この「死ぬ気になれば~」って、嘘くさい、全く響かない言葉なんですよね。逆に「バカじゃね?」と反発し、完全に心を閉ざしてしまいます。

 

 

もっと本質を理解してください

自ら命を断とうとする人は、「死ぬ」ことが一番ラクだと思っているんです。「死ねばラクになる」と思っているんです。

でも「死ぬ気になれば…」と言う人は、死に対して「怖い」「辛い」「苦しい」というイメージを持っています。

つまり、根本的に「死」に対する考えが違っているので、そんな人達が 熱く 偉そうに わかったような事を言ったって「はぁ?あんたに何がわかるよ?バカか?」くらいしか思わないんですよね。。

今でも こういうのは腹が立つので、そんなテレビは すぐに消すか、笑える番組に変えます♪

 

 

最後の決断

本気で「もう死にたい」「もう死のう」と考えたことがあります。

今の時代なら、テレビのニュースになるだろうな…という、壮絶ないじめにあいましたから。

でも、最後の最後に思いとどまったのは、誰かの言葉でもなく、誰かの存在でもなく、私の場合は ただ「死にきれねなかった」だけです。

当時は「生きている」と言うよりは「死んでいないだけ」な人間でした。これが「廃人」と言われる状態なんでしょうね、と今は思います。

心は空っぽで、家族ですら自分を守ってくれない敵でした。でも、ある日突然、「死ぬ」以外の方法で別の世界に行けないだろうか…と思い始めて、そこから「敵だらけのこの家をまず出よう」と考え始め、最終的に10代の私は「一人暮らし」や「留学」という目標を見つけました。

 

 

死を考えた あの日からの30数年

自ら命を断とうと思うも、死ぬことができず、廃人と化し…。あの時から30年以上が経ちました。

辛いことの方が圧倒的に多かったかもしれません。でもね、50代になる今は「あの時死ななくて良かった」と思います。

相変わらず、友達(心を開ける人)は少ないです。でも、心を開ける人が一人でもいるだけで、人生って違いますね。それに、そういう人って見つかるもんなんですね。

そして、今は母子家庭ですけど(^-^; 結婚もし、子供も授かりました。

子供ができるまでの人生って、自分より大切なものなんて何一つなかったんです。でも、子供ができた瞬間に、「この世で自分の命より大切なもの」ができてしまったんです。←これは、大きかったです。

それと同時に、自分の両親に対しての怒りや悲しみも湧いてきましたけどね。ま、それは置いておいて。。

とにかく、過去に本気で「死にたい」と思った人間が、今こうして生きていて、過去は辛いことも悲しいことも多かったですが、今は楽しいこともあり、幸せも感じている。

壮絶にいじめられて、家族にも守ってもらえなかった学生が、「生きているって素晴らしい!」と50代になって思えるようになったりました。

頑張らなくていい。何もしなくて良い。腐っててもいい。廃人でも良い。とにかく、生きていれば いつか何かが起こる瞬間が来るんじゃないかな…と。

「辛い」「悲しい」だけで人生を終わらずに「楽しい」「嬉しい」を感じることができたのを、今は「生きていて良かった」と思っています。

それに、今は 嫌な事や大変な事があっても「あの時に比べたら、クソ♪」「あの時でも何とかなったから、きっと大丈夫なはず♪」と思えるようになったんです。

辛い苦しい時期は本当に大変で、生きるのがイヤになった日もありました。

でも、こういう経験も「苦味」が料理の「旨み」になるように、「辛い」「苦しい」も料理次第では人生を美味しくするスパイスになるんじゃないかと思っています。

ただ「それはいつですか?」となると…わかりません。だから辛くて苦しいんですけど、私が言える事は「自分で収入を得るようになれば、絶対に変わります!変われます!自由になれます!」という事です。

海外のことわざに「夜明け前が一番暗い」というのがあります。

辛い苦しいとき「夜明け前かも…」「もうすぐ明るくなるかも」と思うだけでも、変わるかもしれませんね。